氣づき |
何年か前から、身近な現象で氣になっていた事があったが、いよいよ現実味を帯びてきた今年の夏であった。
朝早い夏の我が家の庭先は、永い年月を経て羽化したばかりの油蝉の、強い夏の日差しを浴びながら樹木に攀じ登る姿が見られたものであったが、その様子の変化に「氣づいて」久しいものがある。それは、其々生き物が持つであろう自然本能からは考えられない現象であり、動く事すらママならない有様の後、飛ぶ事も無く死に絶えて行く姿である。蟻の餌食と成り果てる怖れのある緩慢な動きを見て、樹木に止まらせて見るものの殆どは長続きしないまま地上に落下し、結果は同じ事の繰り返しであった。
かれこれ三十年ほど前までは、都会で鳴く蝉の順番が決まっていた様に記憶しているが、先ずニイニイ蝉が居なくなり、その後は次々馴染みのある蝉の声が聞かれなくなり、最近では真夏の象徴的な油蝉にまで及んで来てしまった感がある。何故こうなったのか判らないが、同じ動植物でも、種保護の為国を挙げて保護されている個体も多い中、話題にもならないこの現象に、人々は何処まで「氣づいている」のだろうか。孵化から羽化まで、数年掛かって地上に出て来る蝉の誕生までのメカニズムを考えると、この変化の分析は極めて難しいものがあると考えるが、時間の経過で変化観察が可能な外の生物と違った生態を持つ蝉の変化を、人類を取り巻く環境への警告で無ければ良いと思っている。 |
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「氣づき」は、窪田先生の教えの中でも重要な部分を占めており、先生の著作になる「顔で笑って心で冷めて」の小冊子にもその大切さが説かれている。氣づきの背景にあるものは感性であり、この感性は永い時間を掛けて養われるものであって簡単に身につくものではない。我々年代の、幼少から成人になり社会人として認められるまでの経過において、様々な変化に出会い、「なぜ?どうして?どうなるの?」の繰り返しを体験した毎日であった。この事が感性を養う原点になっていたように考えているが、現在は凡そそのような環境にないのが氣に掛かっている。
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先日身近に起こった事件であるが、何時も通り犬の散歩に出掛けた時の事である。
直ぐ隣接した空き宅地に引き込まれたガス管のシールに対して関心を持った犬は、その黄色い帽子のようなキャップにじゃれ始め、暫く遊ばせた後、引き寄せて何時も通りのコースを散歩し帰宅した。特に氣にもせず翌日も同じコースを歩き始めたところ、今度は低い唸り声を上げて黄色いキャップの根元を掘り始め、引き寄せようとするも踏ん張って動く氣配を見せない様子に疑問を抱くところとなった。 ゴールデンレトリバー犬は滅多に唸らない穏やかな性質を持っており、「どうした」と言いつつ顔の傍まで近づいた所、「シュッー」という氣体の洩れる音が聞こえるに至って容易に状況が呑み込め、慌ててガス会社に電話連絡。直ちに修理に飛んできたガス会社の職員に、場所、状況を説明し無事修理が完了した。前日、業者が、雑草を草刈り機で刈る際、刃具の先端がガス管に傷を付けたことが原因である事が判明したが、「良く連絡して頂き助かりました、犬のお陰です」と大変感謝され、飼い主として良い氣分を味わはせてもらった。道路から少し入った場所での出来事で、道路を歩く人間には凡そ聞き取れないレベルの音で、犬の「氣づき」がなければ如何なっていたかを思うと、ゾットする出来事であった。
「アレックス!その内きっとジャーキーの一つでもお礼に貰えるぞー」と言い聞かせたが、その後、何処からもアレックスに対して挨拶の氣配も無く日が経ってしまった。
人間の「氣づき」より動物の「氣づき」が勝っているのかなと想いながら、とうとう油蝉のあのぎらぎらした「是ぞ夏の風物詩!」を体感しないまま今年の夏が終わろうとしている。
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