いい日旅立ち<Zントレア空港 |
飛行機大好き人間の小生に採って嬉しい日が日増しに近づいてきた。
美浜の海岸に立つと北西の方向にセントレア空港の全貌が見渡せる。ほぼ2年ほど前に微かに空港島が姿をあらわしたと思いきや、それ以来伊勢湾の夕日を逆光に、地上の建造物のシルエットが日増しに多くなって行く今日此頃の遠望である。
以前九州の工場に足を運んでいた時代、大阪の関西空港の上空からその建設状態を見る機会があったが、島の輪郭が現れ、埋め立て、滑走路らしき物が現れるまでの記憶に残っているテンポに較べてセントレアは数段早い様に感じている。新聞紙上で良く取り上げられている公知の事実であるが、従来にない建設思想の基で計画が立てられ、それ等が着実に具現化されつつある証を見る思いである。二度ばかり空港建設現場見学に出向いたが、空港設備に対する目的と手段が設計思想に反映されており、そこには「理念」と「ビジョン」を明確に感じさせるものがあった。
不特定多数のクライアント論理を反映した優れた設備は、空港のモデルケースになる事は間違い無いと思う。大阪知事が地元メーカー56社を引き連れ、「元気な中部企業との連携」を模索する目的でトヨタ自動車本社訪問の朝刊記事が出ていたが、セントレア空港現象の一端を垣間見る出来事であろう。テーマ−パークを思わせる楽しい設備が一杯の、大勢の人達に夢を抱かせ、適えさせる場所が誕生する来年の春の開港が待たれる今日此の頃の進捗状況である。
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昭和34年社会人になり、母親に給料の前借をしてやった事が飛行機に乗る事であった。
生まれて始めての体験は、大阪から羽田までダグラスDC−3型機によるフライトで、今でも鮮明に記憶に残っている。
21人乗りのこの機体は胴体の後ろの方から搭乗し、東山動物園の登り坂位の傾斜した通路を登り?、前部座席に着席すると水平飛行に移るまでは、ずーっとバックシートに張り付く姿勢を余儀なくさせられる代物であった。トイレは勿論汲み取り式、与圧設備が無いので名古屋経由のフライトは度々高度差による耳鳴りに見舞われ、爆音と揺れは、快適にほど遠い冒険に近い乗り心地であった。当時は、新聞の地方版に当日の搭乗者氏名が掲載された時代で、余ほどの金持ちか、政治家、有名人に限られ、帰宅後、初任給相当額の運賃を使った息子の行動に呆れた母親の姿が目に残っている。
空から見た知多半島の当時の様子は、こんな所に湿地帯が在ったかと思う程溜池ばかりの地形で、地図と現状の違いをまざまざと見せ付けられた1シーンであった。それ以来すっかり飛行機の虜になり、航空会社のタイムテーブルから機体を追い続け、今までに型式の異なる25種類の飛行機に乗ったが、コンコルドの夢は適わずに終わってしまった。
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窪田先生の教えの一つに「原理」「原則」に付いて説かれたものがあるが、飛行機こそ究極の原理、原則の上に成り立った文明の利器であろう。
原理、原則に忠実な造り方、使い方、運行さえやれば、空の旅が安全面、利便性で最も優れた移動方法であると思うが贔屓の引き倒しであろうか。 |